https://snjpn.net/archives/157489
Mi2さんのツイート
【100年経とうが…】
日本製品不買条例について、
青木理
「今回の問題の一番の根幹は歴史認識。最近、歴史自体無かったこと言う人、歴史修正主義が出てきた。いつまで言ってるんだに対する不満。80年経とうが100年経とうが歴史的事実を踏まえた上で、先達の子孫として振舞わざるを得ない」
(略)
>>1
因果関係が解らないのだが・・・
当時に何らかの争いがあったとしても
子孫にまでその責任を負う必要なんてないだろ
>>1
何と9cm(リッパ)な朝鮮朱子学でw *。
>>1
いっつも疑問に思うのだがなぜかスタートが併合からなんだよな
もっと長い歴史あんだろ、朝鮮半島
>>1
ほう、ならばあんた達の「歴史」では朝鮮は「植民地」だった訳で、
韓国人は日本に対して「植民地人」として振る舞ってもらおうか?
100年経ってもその価値観・上下関係が変わらないならば、
今から100年前の帝国主義・植民地価値観で振る舞われても文句はないってことだよな?
>>1
これって、、、、
部落解放運動の前で同じことを言えるのか?
「部落の子孫はやはり部落だ」って言ってるのとおなじだぞ?
>>1
【小林よしのり】 青木・玉川の左翼コンビがまた間違い発言~日本の韓国併合はドイツのポーランド侵略と全く違う[09/10]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1568096907/-100
.
>>1
謝りたければ個人で謝ればいい、かってにやってくれ、
一般の日本人には終わったこと、関係ない
>>1
犯罪者の子供はずっと親の罪を謝罪しながら生きていけということか?
頭おかしいだろ
>>1
日韓併合はロシアや清より日本の保護を大韓帝国が自ら求めた国際法に基づいた条約
併合以後の日本の慈悲深い善行を、チョンは深く深く感謝の意を示し続けなければならない
自分に都合が悪くなれば理性を忘れ発狂猿の如く振る舞うチョンが、トチ狂って捏造した歴史を信じる方が精神がおかしい!
チョンは日本に子々孫々まで感謝と畏敬の念を持ち続けなければならない
>>1
ただの封建主義なんだが、分かっとるんだろうかね?このおっさんはww
>>1
「歴史認識」や「歴史修正主義」とか言ってればマウント取れると思ってるバカ
ってかこの人、お仲間に囲まれて一方的にしゃべれる場にはホイホイ出てくるが
議論の場には絶対に顔出さないね
>>73
池上もそうだけど、この手の連中には是非ともニュース女子とか虎ノ門とか保守派の番組に出てもらいたい
>>75
出たら無口になる
>>1
*認定
リー・青木
>>1
歴史を知らんのか?
自国の歴史ぐらい、きちんと知っておけよ。
日本が中国に勝利し、独立出来たが、基盤(インフラ)がまったく無い。
朝鮮半島は、古代・唐の時代から中国の属国となっていた。
中国が、朝鮮半島を属国にしたのは、家畜以下の働く奴隷が必要だったから。そのため、1200年以上にわたり、朝鮮人は、中国に家畜以下の奴隷としてコキ使われることになり、19世紀になっても、朝鮮半島にはインフラがまったく無かった。
だから、朝鮮から併合してくれと泣きついてきたんだろうが。
約束を守り、朝鮮半島の基盤(インフラ)を作ったのが、日本。
現在の韓国の基盤は、日本人の税金で出来ているんだよ。
ここまで来ると、こいつは韓国人か、韓国の工作員か、よほど韓国が好きなやつのどれかだろうな。めっちゃ偏ってるから、普通のジャーナリストではない。
>>13
まあ、普通に韓国人なんだろうな
>>64
選挙権がないんだっけな
この事を日本人に対して言ってるのか日本政府に言ってるのかでだいぶ違ってくると思うが
日本人に言ってるとしたら瘴気と思えないわ
>>25
結局同じことやん民主国家やし
こいつ朝鮮人なの?やっぱりどうりで
>>87
韓国の大学に留学していた。日本のマスコミ人に多いパターンだ。
日本政府はサンフランシスコ条約の制約があるので、韓国の歴史の正統性に
ケチがつけにくいことに付け込めば、マスコミ人として楽に名を上げられる。
このスレの住人は,日本による朝鮮への関わりの未熟さがわかってない。
オレが資料を提示して教えて差し上げるよww
これは、歴史に残る情報のほんの一部だけど、これを切っ掛けに,歴史をしっかり学ぶと良いと思うよ。
(出典:新日本史・・・小野信二,門脇禎二.著;教研出版株式会社)
江戸時代の朝鮮との関係は,徳川幕府が津島の宗氏を仲介として正式の外交を開いていた。
ところがこの関係が,1811(文化8)年以降中絶していたので,明治政府は1868(明治1)年に宗氏を通じて条約の締結を申し入れた。
当時の朝鮮は,国王の実父大院君が実権を握り,清国を宗主国としていた。そのため欧米諸国との国交を開いた日本の要求を拒絶したのである。
次いで日本は,外務省官吏を派遣して直接交渉に及んだが,朝鮮はこれにも応じなかった。
このような朝鮮側の態度に対して,政府部内から朝鮮に対して武力を行使しても交渉に応じさせようという声が高まってきた。
しかしこの征韓派の声は,国内における反政府の動きを,朝鮮半島への進出に振り向けさせようとすることの口実でもあった。
要するに征韓論は,不平氏族の動きや農民一揆の頻発による内乱の危機を回避するための対外強攻策であり,同時に朝鮮進出により,
万国対峙という国際状況の中で日本の国権を伸張させようとする政策でもあった。
>>99つづき
政府部内の分裂
ところが1873(明治6)年,たまたま朝鮮において排日事件が起こった。
岩倉使節らの欧米派遣の留守をあずかっていた西郷隆盛・板垣退助・江藤新平らは,
これを機会に朝鮮に対する強硬方針を決定し,まず西郷を朝鮮に大使として派遣することとした。
そこへ岩倉使節一行が帰国し,岩倉・大久保・木戸らは,朝鮮出兵より国内問題の解決の方を優先させるべきであると強調し,内治派と征韓派とが対立した。
その結果,征韓論は退けられ,征韓派の人々はいっせいに,政府を去ったのである。
こうして明治政府は真っ二つに分裂したが,その原因は,単純に征韓か内治かの対立ではなく,
近代化政策に反対する不平士族の要求をある程度認めようとする西郷・板垣らの動きと・不平士族の反対は抑圧しても,
徴兵令や地租改正のような統一国家の形成の内容となる近代化政策を強行しようとする大久保・木戸らとの対立であって,明治政府の基本政策に関わる問題であった。
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